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生と死の本能の争いは生涯続く [心理学]

ニュートン物理学によれば、恒常性乃至バランスはある力に同等の対立する力が拮抗する事で達成される。

フロイトは自身の死の衝動で滅しない為に、ナルシス的で利己的な生の本能を用いて死の本能に対抗し、死の本能を他の対象の方に向け直すしか無いと結論付け、メラニー・クラインはこの点を拡張して、死の本能を外部に向け変えたとしても、私達は依然として「この攻撃衝動」により破壊され得ると危機を感じると主張した。

又、クラインは私達が「生の本能を死に対して動員」と言う対立し合う諸力と共に生きる事は、人間的経験の中心にある元々の心理学的葛藤に他ならないと述べた。


クラインによれば、私達には成長と創造を目指す傾向があるが、これは常に同等に強力で破壊的な力によって駆り立てられており、この現在進行形の心的葛藤はあらゆる苦しみの底に潜んでいる。

攻撃と暴力へ向かう私達の中にある生得的傾向も、この精神的緊張で、人が持つ愛と憎しみも説明できる。

生の本能と死の本能との間での喜と苦痛、刷新と破壊を巡る絶えざる戦いは、私達の精神の中の混乱に行きつき、怒りや「悪」感情が、その良し悪しは問わず、あらゆる状況に対して方向付けられる事になる。


クラインの考えでは、私達は決してこれらの原初的衝動から逃れられず、一生抱え込み、安全で成熟した状態に至らず、暴力の「原初的空想」で沸騰寸前の無意識と共に生きて行く他ない。

こうした心的葛藤の影響がどんどん浸透して行くものだとすると、幸福についての伝統的な見解はもはや維持し難くなり、生きるとは詰る所この葛藤に寛容になる方法を見出す他なく、涅槃の境地に到達出来ないと考えた。

寛容な状態が、私達に期待し得る最善だとすれば、人々の望むものや受取るに値すると思うものの手前で人生が終わってしまい、抑圧と失望に行着くのが常で、クラインによれば人間の経験とは、どうしようもなく不安や苦しみ、無駄や破壊で溢れていて、私達は生と死という両極となんとか折り合って行く他無いと結論付けた。

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