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武士道は菩薩道 [宗教]

武士道が一般的に知られるようになったのは、新渡戸稲造が米国で書籍でもって紹介してからだ。
新渡戸は日本人紹介として、武士道を紹介したのだが、教養人としての武士の意識は菩薩を心掛けていたと考えられ、江戸末期の一般庶民の教養人もそうであったろう。
江戸末期の心学が栄えた事は、背景に朱子学と仏教の影響が大きかったと考える。

朱子学は江戸幕府の公用学問であり、仏教は日本において千数百年の歴史が重く、日本人の隅々まで禅宗や浄土の考え方に馴染んで居たに相違ない。

古代神道派であった物部氏が滅んで、仏教推進派の蘇我氏を後見とした推古朝において聖徳太子伝説が生れ、法隆寺建立や3教義疏等から朝廷仏教が始まっている。
奈良時代には聖武天皇により大仏殿が建立され、諸国に国分寺が建てられ仏教による鎮護国家思想が定着し、鑑真和上の来日もあり、南都六宗が栄えた。

道鏡が称徳天皇に取り入り、政治が乱れたとして最澄を登用して入唐させ比叡山延暦寺を創建して平安仏教は始まった。
付録で付いていった空海が真言密教を持ち帰り、真言宗を開いたことが平安仏教定着に一役買っている。
平安時代は庶民には仏教は高嶺の花であり、主役は繁栄を極め、没落していく貴族であった。

平安末期になって、延暦寺から浄土・禅・法華の研究が進み、法然が浄土宗を立宗した。
鎌倉になって、栄西による臨済宗・親鸞による浄土真宗・道元による曹洞宗・日蓮による日蓮宗が相次いで立宗したことによって日本に真の大乗仏教時代が訪れたと言ってよい。
これにより、公家から新興武士や庶民に信仰が広まっていくことになる。

室町時代になると勘合貿易で得た利益によって寺社は勢いを増すことになる。
禅の思想的進展も交易相手である宋で栄えているので、この時代によるものが大きい。
真言宗・浄土真宗・日蓮宗が庶民に波及し、その余波は下剋上の風潮を生み出すことになる。

応仁の乱から始まった戦乱の世は、日本における実存哲学(禅宗によって培われた)の確立に欠かせない。
徳川幕府は寺社奉行を置き、真・法華のような大衆仏教を禁止し、現在の葬式仏教の礎を築いた。
禅宗は武士の宗教として栄え、思想的指導性を発揮し、夫々の宗派も思索して宗旨を確立した。

これだけの歴史的背景も手伝って日本人全体に菩薩に対する憧れと精進が生れたと信じる。
江戸幕府が国学と定めた朱子学も宋の時代に仏教の考えを取り入れて再編成し、聖人となることを目標としている。
その日本人像こそ菩薩道であり米国で武士道と紹介されたものと信じる。


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