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人間に授けられている最も貴重な能力である愛 [心理学]

ドイツ出身で米国精神分析家エーリッヒ・フロムは人間を「受容的」「搾取的」「貯蔵的」「市場的」の4つの主要類型と最悪類型「死姦的」及び理想類型「生産的」の6つの類型に分けた。

「受容的」な傾向を持った人格は、自分に与えられる分をその侭受入て現実維持の状態で受動的に生きている。

この種の人々は、引っ張っていくと言うよりは後を付いて行くのだが、極端な場合には、これは犠牲者の状態にもなり、ポジティブに見れば献身と受容と言う点で豊かであり、この類型を歴史上の小作農や出稼ぎ労働者に見立てる。


「搾取的」傾向のある人は、他者から取上げる事で大きくなり、自分達の必要とするものを稼いで作る代りに取上げ、その特徴は並外れた自信と主導権を示し、この類型の典型は歴史上の貴族がそうであろう。

「貯蔵的」な人々は、高位置の友人を常に探し、愛する相手でさえその価値に応じてランク付けし、所有物のように見なし、権力に貪欲でケチなこの手の人は、良く言って実用的で経済的であって、中産階級やブルジョワに属す。

「市場的」傾向を持つ人は、どうすれば自分を首尾良く売込に成功するかというイメージに取りつかれていて、あらゆる選択は、反映された状態から評価し、最悪の場合、彼らはご都合主義で浅薄で、良い場合は高度に意欲的で、目的を持ち精力的であって、このタイプはその貪欲さと自意識にきりが無い点で現代社会を体現している。


実際には、私達の人格は大抵主要な4類型の混合からなる。

「死姦的」は破壊だけを追及し、人生の混沌としたコントロール不能な状態を恐れる余り、病と死の話を好み、「法と秩序」を押付けたいという欲求に憑りつかれ、この手の人々は他者よりも機械的なものを好み、控えめな状態では彼らは悲観的に「いいえ」しか言わず、そのグラスは半分空っぽで、決して半分満たされていない。

「生産的」な人は柔軟性と学習と社交性を通して人生に対する筋の通った解決を純粋に追求し見出し、「世界との一体化」を目指し、そのようにして夫々が隔たった孤独を免れていき、合理性と開かれた心を持って世界に応答し、新たな事実に応じて自身の信念を変える事を厭わず、他者を真に、詰り世界に対する記念品や護衛としてでは無く、あるが侭の姿において相手を愛せ、このような勇敢な人間をフロムは「仮面をつけない人間」と呼ぶ。


自分の人生に意味を見出す能力は、人間にとって決定的な特質の1つだ。

私達が探し求めている健全さの感覚を見出しうる唯一の道は、自分の考えと感情に従い、創造的な目的を通過して自分の個体性を発見するにおいてだ。

自分を孤独から解放する決定的な道の1つに、自らの愛する能力を介する道があり、愛は自分達と他者の間の分離と比類なき尊重があってこそ可能となり、愛する唯一つの道は、何者にも捕われずに愛する事、詰り他者の十分の個性を認めつつ愛する事だ。



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唯識1 [宗教]

本日の予定はエーリッヒ・フロムについて書く予定であったが、Eテレでこころの時代再放送「唯識に生きる」と題して6回シリーズの第1回目が再放送されたので唯識について紹介する事にした。

筆者は仏教に並々ならぬ関心を持ち、それを以て自身の人生の道標としているので、心の時代は良く見ていて、前回は曼荼羅についての解説であったが、それは折を見て紹介する事にしたい。

ここで、唯識を記事にする事にしたのは、散々綴って来た心理学で「無意識」の問題が取り上げられているのはご承知と思うが、筆者は唯識思想が欧州に渡って無意識に対する問題提起となっていたと考えている。


筆者が唯識と出逢ったのは、今から20年前道後温泉本館で京都から来られていた大学の講師と巡り合った事が始まりで、お願いしてメールで勉強すべき物を教えて欲しいとの依頼に応えて、1つの文章が切欠でした。

それは文章と言うより漢詩であったような気がするが、非常な驚きを筆者に与えた事を、未だ新鮮に感じている。

その詩から受けたインパクトは、心は嵐であると言うメッセージであったように記憶している。


それから折に触れて、唯識については様々な書籍を読み漁ったが、最初の詩で受けた衝撃は全く色褪せない。

今、西欧の心理学者を「心理学大図鑑」に従って書き綴っているが、これは唯識から入ると科学でないと言う拒否反応を示す方々が居られると思い、敢えて慣れない心理学を記事にする事を試みている。

これは自身の研究課題である脳神経科学と唯識解釈に資すると考えているので、自身としては齟齬は全く感じて居ず、自身の唯識理解にも大きく役立つと考えている。


さて、Eテレの「唯識に生きる」であるが、講師の横山紘一先生によると唯識即人格であると言う。

人格は夫々の宇宙を構成し、それは交わらないが、仏の意志でもって交わり、そしてその身体内部の呼吸と大きく関与し、それは、禅や真言密教の即身成仏を目指す瞑想と絡み合って、肉体と合致すると言う。

今回は、初回と言う事で概論的な話で終わったが、次回から、今心理学を概論している中で無意識の問題が大きくクローズアップされているが、そこらと交わる話になると考える。


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憎悪を処理して始めて愛情が芽生える [心理学]

イギリスの小児科医にして精神分析家ドナルド・ウッズ・ウィニコットは第二次世界大戦で家を失った子供を研究対象として、新しい環境を受け入れようと努力する子供達が直面する困難を検討した。

元々無関心で粗雑な家庭に育った子供は、自分を受け入れてくれた家族から「自分が愛されていないのでは無いかという疑い」に苛まれ、そうした子供達は、我が身を守る為に、良い両親の元に送られた場合でも、「憎悪を露にする」ことがあり、ここから当然のように、「両親の内にも憎悪」の感情が呼び覚まされるが、その時もし両親が「自分達の憎悪を」それと「認め」、その感情に対して寛容になったなら、受け入れられた子供は、子供と大人の双方が共に憎悪を経験している場合であっても、「自分が愛されていて」、愛するに足る存在であると「実感する」経過を経て「子供は強い愛着を形成することができるようになる」。

詰り、子供が憎まれっ子を演じる事で、両親から嫌われるかどうかを試し、両親が寛容の態度で接した時、初めて対両親に愛着をもつと言う事だ。


健全な家庭で母親が子供を産む場合でも、出産というイベント自体、身の危険を伴うものであり、生れた後赤ん坊の存在は、それだけで心理的にも肉体的にも途方もない要求を母親に突きつけ、母親が自分の子供を憎む必然性があるが、母親は原初的な情け容赦のない愛で赤ん坊に対する。

であるから、躾と称して苛烈な行動となる場合があり、その場合赤ん坊は憎まれていると言う受け止めをする。

そこで、子供は自己保身の為に、態と憎まれっ子を演じて、母親の愛情確認をして、母親が寛容に受け止めた場合に、子供は自立できるようになる。


ウィニコットは子育ては現実的でなければならず、誠実である為に感傷を排する必要があると言い、そうしてこそ、最初は子供として、後には大人として、自然で避けがたいネガティブな感情をそれと認め、うまくやりくりすることができるようになる。

ウィニコットが勧めるのは、自分達の経験の環境と精神状態にきちんと眼を向け、現実を直視する誠実さをもって振舞うことにより、夫々の人間関係が構築されると言う。


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「無意識は他者の言説だ」と言い放ったジャック・ラカン [心理学]

精神分析者は、無意識とは私達が棚上げしておきたいと願う全ての記憶が貯蔵されている、意識レベルに回収し得ない場所で、時に意識自身に語り掛けるが、それは極めて制限されていて、カール・ユングの考えでは、自らを示すに当って、原型の言語を借りてきて、夢やシンボルを介して自己を覚醒させ、フロイトによるなら動機づけられた行動とたまさかの「言い間違い」を通して表現され、他精神分析学派が一致するポイントは意識的自己によって保持されているよりも、遥かに大きな面積を占めていると言うことだ。

私達は、ともすれば自己の観念を自明視しがちで、誰もが互いに区別される異なった存在として暮らしており、自分の眼を通して世界を理解しているという考えは、他者及び周囲世界から私達を隔てる境界があるという通念と結び付いており、環境との相互作用を保持するスタイル及び思考という点で、自分が他者から切離されている事を前提とするが、自分から切離された存在として認識しうる存在等外部には無いとしたらどうだろうか。

その時、思考の対象とすべき輪郭を持った存在等どこにも見出せなくなり、私達は自分の自己という感覚を概念化し得なくなり、自分が周囲世界から切離されている事を明示する為に私達が個人として行使し得る唯一の手立ては、自分が周囲からも「他者」からも切離されていると認知する自身の能力以外に無く、この能力のお陰で、私達は主体の「私」となり得、ラカンは私達の1人ひとりが「自己」であるのは、私達に「他者」の観念が備わる限りの事だと結論した。


カランの考えでは、大文字の他者とは自己を超えた所に位置する絶対的他者性で、私達がその中へと生れ落ちる環境であり、私達は何とか生延びて行く為にはそれを「翻訳し」、意味の通るものにしなければならない。

幼児は、感覚を概念とカテゴリーへと翻訳する術を学ばないことには、世界の内で然るべき役割を果たせないが、それを幼児は、一連のシニフィアン(記号乃至コードを意味する)に気付き、それを理解してゆく過程を学ぶ中で行うが、これらのシニフィアンは自己を超えた所に位置する外界から私達に到来するものであり、だからそれらは既に他者の言語によって、ラカン好みの用語を用いるなら、他者の「言説」によって形作られている。

私達は言語を介さない事には、思考する事も考えを表現する事も敵わず、私達が所有する唯一の言語とは、ラカンに言わせるなら、他者の言語であって、私達の無意識の思想へと翻訳される感覚とイメージは、この他者の言語によって構成されるより他なく、ラカンの表現を借りるなら、「無意識は他者の言説」なのだ。


このようなラカンの考えは、精神分析の実践に幅広い影響を与え、無意識についての一層客観的で開かれた解釈の可能性を開いていった。

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精神分析療法に革命を起こしたゲシュタルト療法 [心理学]

18世紀にカントが「私達の知識が精神と感覚の制約に縛られている以上、私達には決して自分達の『外部』に何があるのか知り得ない」と、1920年代にユングが「人々に必要なのは内的自己とコンタクトを取る事」と指摘した後、ユダヤ人の精神科医フィリッツ・パールズが「事物が『それ自体において』どのようなものかは分らない。分るのは私達に経験される限りでの姿だけだ」と述べ、ゲシュタルト療法を始めた。

パールズの考えでは、私達が持ちうる唯一の真実は自分自身の個人的真実だけだと主張した

当時、フロイトやユングによって試行されていた無意識を重視した精神分析を使った心理療法ではパールズの主張と相容れず、ゲシュタルト的アプローチを考えつき、それは後にカール・ロジャースの人間中心のアプローチの基礎となっていった。


パールズの主張は「責任を引受ける事」「力を認める事」「運命の否認」の3つにあった。

人々に必要なのは、創造行為に際して自身の力を自覚し、行為(それを構成する世界を含む)に責任がある事に気付き、その責任を負って引受ける事が必要である。

経験が知覚によって作られ、その経験は自身が演じる役割と行為を自身の道具として理解されると、自身の内面に止まらず、取巻く環境を理解しそれに応答すると言う二面の選択肢に向き合う力が得られる。


その力に拠り「どのように」「なにを」が生れ、実際に取巻く環境は変えられる。

言語の使用も重要で、出来ない理由は自己の使う言語(それはできない、~すべき)に縛られ、それを(それはしたくない、~したい)に変える事で行動は大きく変わり、それ迄運命であったものが運命でなくなる。

私達が自らの経験に責任を負う術を学ぶ事で、社会からの影響に左右されない真正の自己が育まれる。


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自我の防衛についてのアンナ・フロイトの理論 [心理学]

『聖書』によるなら、エデンの園に居たアダムとイヴは、誘惑か正義かという選択に直面させられた意思決定であったが、ジグムント・フロイトは、精神についてのその構造モデルの中で、人間の無意識のうちにある同様なモデル(精神の働きを自我・エス・超自我と見做す)を述べている。

エスは真柄卑劣な蛇のように、自分達に良い感じられる事を実行するよう私達を嗾け、それは完全に欲望に突き動かされており、只管快楽(食物や快適さ、暖かさや性欲と言った)と基本衝動の充足とを目指す。

超自我は真柄公正な存在のように、もっと上の道(両親と社会の価値を課すものであり、私達が何をすべきで、何をすべきでないか)を進むように私達を誘う。


最後に、自我は真柄意志決断を行う大人のように、衝動を統制してどう振舞うべきかの判断を下し、その役割はエスと超自我の間に宙吊りされた調停者だ。

オーストリアの精神分析家アンナ・フロイトは、自分の父の考えを膨らませて、超自我の形成とその自我への影響に関心を向けた。

自我は世界の現実を考慮に入れるが、それと同時にエスとも関わり合い、超自我によって一段下位の立場へ格下げされる。


超自我は、一種の内面化された口煩い両親として、罪と恥の言葉を語る。

私達は、ある種の仕方で考えたり行動したりした角で叱られる時、超自我の声を聞いている。

超自我がはっきりと姿を著す(詰り「自らを述べる」)のは、それが自我に敵対する時だけだ。


超自我の批判的声は、私達の中に不安を呼び覚ますので、私達は自我に防衛機制を働かせる為の様々な方法であって、アンナによるなら、私達が用いる数限り無い防衛機制は、ユーモアや昇華から否認や置換え迄多種多彩だ。

自我の防衛についてのアンナの理論は、20世紀の人間性療法の内にとても実り豊かな思想の層を齎した。


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新フロイト派精神分析家カレン・ホーナイ [心理学]

ドイツ生れの精神分析家カレン・ホーナイは、家庭から学校、職場、更にはもっと広範な共同体に至る迄、様々な社会環境は、特定の信念に支持された文化的「規範」をその内に育み、不健全で「有毒な」社会環境は個人の内に不健全な信念を、生出す傾向にあり、この結果人々は自らの最善の潜在能力を非実現に終わると主張した。

取分け肝心なのは、どんな時に、自分で決定した信念ではなく、有毒な環境から内面化された信念に従って振舞っているかを認識し、そうした信念は内面化されたメッセージとして、取分け「私は周囲から承認されるべきだし、力も強いはずだ」とか「私は痩せねばならない」といった「~すべき」として現れる。

ホーナイが患者に語るのは、彼らの精神の中にある2つの影響に気付くようになることだ。


それは、本物の欲望を抱えた「真の自己」と、「~すべき」のあらゆる欲求を満たすべく駆り立てられる「理想の自己」で、後者は現実の自己の道程には非現実的でそぐわない諸観念で精神を満たして、真の自己が理想の自己の要求に応えられなかったと言う「挫折感」によるネガティブな反作用を生出し、ここから、第3の不幸な自己である「蔑視された自己」が現れる。

ホーナイに言わせれば、「~すべき」とは私達の「運命との取引」の基礎で、それに服従すると、私達は、現実には外的現実から酷い不幸や神経症に突落されるにしても、魔術的にそれらを統制できると思い込めてしまう。

ホーナイの見解は、20世紀初頭のドイツと言う彼女が生きた環境(嘗て無かった画一化への傾向の強かった時代)と深く関わっている。

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生と死の本能の争いは生涯続く [心理学]

ニュートン物理学によれば、恒常性乃至バランスはある力に同等の対立する力が拮抗する事で達成される。

フロイトは自身の死の衝動で滅しない為に、ナルシス的で利己的な生の本能を用いて死の本能に対抗し、死の本能を他の対象の方に向け直すしか無いと結論付け、メラニー・クラインはこの点を拡張して、死の本能を外部に向け変えたとしても、私達は依然として「この攻撃衝動」により破壊され得ると危機を感じると主張した。

又、クラインは私達が「生の本能を死に対して動員」と言う対立し合う諸力と共に生きる事は、人間的経験の中心にある元々の心理学的葛藤に他ならないと述べた。


クラインによれば、私達には成長と創造を目指す傾向があるが、これは常に同等に強力で破壊的な力によって駆り立てられており、この現在進行形の心的葛藤はあらゆる苦しみの底に潜んでいる。

攻撃と暴力へ向かう私達の中にある生得的傾向も、この精神的緊張で、人が持つ愛と憎しみも説明できる。

生の本能と死の本能との間での喜と苦痛、刷新と破壊を巡る絶えざる戦いは、私達の精神の中の混乱に行きつき、怒りや「悪」感情が、その良し悪しは問わず、あらゆる状況に対して方向付けられる事になる。


クラインの考えでは、私達は決してこれらの原初的衝動から逃れられず、一生抱え込み、安全で成熟した状態に至らず、暴力の「原初的空想」で沸騰寸前の無意識と共に生きて行く他ない。

こうした心的葛藤の影響がどんどん浸透して行くものだとすると、幸福についての伝統的な見解はもはや維持し難くなり、生きるとは詰る所この葛藤に寛容になる方法を見出す他なく、涅槃の境地に到達出来ないと考えた。

寛容な状態が、私達に期待し得る最善だとすれば、人々の望むものや受取るに値すると思うものの手前で人生が終わってしまい、抑圧と失望に行着くのが常で、クラインによれば人間の経験とは、どうしようもなく不安や苦しみ、無駄や破壊で溢れていて、私達は生と死という両極となんとか折り合って行く他無いと結論付けた。

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無意識原型を提唱したユング [心理学]

スイスの精神科医カール・ユングはフロイトの動機づけの源泉である無意識の中に民族・宗教を跨いで存在する、私達の誰もが自らの経験を意味あるものと認め、それを世代を超えて受け継がれるものを原型と呼んだ。
原型は、多くの種類の行動や感情のパターンと連合するが、取分け直認知され得る特別なものとして、「ペルソナ」「アニムス」「アニマ」、賢者や女神、マドンナにグレートマザー、英雄等がある。
ペルソナは、ユングが定義した原型の中で最も重要な一つで、人間が自らの人格を幾つかの要素に分割して、環境や状況に応じて世界に対して前面に立てている自己を言う。
ユングの考えでは、自己には男性的な部分と女性的な部分があり、アニムスは女性的人格の内にある男性的な要素で、アニマは男性の精神の内にある女性的属性を言う。

アニムスは筋骨隆々たる男性であり、兵士の指揮官であり、クールな倫理学者であり、ロマンティックな女誑しの「本物の男」をあらわす。
アニマは、自然に近しい存在であり、直感的で本能的な森の妖精や処女、魅力的な女性である。
こう言った原型は、私達の無意識の内に実在する限りで、私達の気分や反応に影響したり、予言的な言葉(アニマ)や断固たる合理性(アニムス)としてあらわれることもある。

ユングはペルソナの対極にあるものとして、私達の中にあるものを見たがらない存在を影とした。
最も重要な原型は真の自己で、これは中心的で組織化する原型で、他のあらゆる側面を1つの統合された完全な自己へ統合させようとする「自己実現」へと誘うものである。
原型は夢判断において大きな力を発揮し、真の自己実現を導く。


ユングによるなら、私達が自らの意思によって推論を働かせて行う意識的思考だと見做しているものの大半は、実際には既に無意識的活動に、取分け統合的に働く原型の諸形式に先導されている。
現代ではユングが生み出した原型を使ってМBTIのような性格テスト等に広範に適用されている。
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神経症は当人に絶えず劣等感をもたらす [心理学]

フロイトの思想は19世紀後半の精神療法を支配する程であったが、その手法は無意識衝動と個人の過去の残滓に焦点を合せる事に限定されていた。

アルフレッド・アドラーは心理学理論をフロイトの見解を超えた所まで拡張して、個人の心理は現時点における意識的諸力にも影響されるが、社会的な環境や領域の影響も同等に見逃せないと示唆した1人だ。

アドラーはこうした考えに基づいて、自身のアプローチを個人の心理学として確立した。


アドラーは、取分け劣等感と自尊心の齎す積極的効能と消極的効能とに関心を示したが、その始まりはアドラーの経歴の初期に迄遡る。

その頃アドラーは、身体的障害を抱えていた患者達を相手にしていた。

そうした障害が当人の成し遂げた事と自己の感覚に齎す効果を観察する事で、アドラーは患者達の間に甚だしい相違のある事に気付いた。


障害を抱え乍も、高度な運動能力を発揮する人々もおり、こうした人々にあっては身体的障害が強力的な動機付けの力として作用している。

もう1方の極には、自分の障害によって打ちのめされていると感じており、そうした状況を打開する努力を殆ど出来ないいる人々が居た。

アドラーが気付いたのは、こうした違いはこれらの人々が自分をどう見ているか、言換えれば彼らの自尊心に由来すると言う事であった。


アドラーによれば、自分が劣っていると感じる事は、幼児期にその起源をもつ普遍的な人間的経験だ。

子供は自然と劣等感を感じるものだが、それは彼らが、常に自分よりも力の強くずっと優れた能力を持った人々に囲まれているからだ。

子供は、周囲の力に動機づけられて、自ずと年長者の能力を見習い、それを我がものにしようとする。


これによって子供は、自分自身を発展させ目標を達成しようという気になる。

健全でバランスの取れた人格を有している子供も大人も、外部にある目標に自分達が応じられると気付く度毎に自信を獲得してゆく。

劣等感は、次の目標が現れ克服される迄は消え去る。


この精神的成長の過程に終わりはない。

だが、身体的劣等感を抱いた人は、もっと一般化された劣等感を抱き、その結果バランスを欠いた「劣等感コンプレックス」に行きつく危険性に付き纏われている。

そうなると、劣等感は決して取り払われることはない。


目標に到達したいと絶えず望む中で顕れる、同じ様にバランスを欠いた「優越感コンプレックス」の存在にもアドラーは気付いていた。

この場合の目標は、到達されたからと言って、個人の内に自信を吹き込まず、絶えず当人を更なる外的認知と達成を求めるよう駆り立てるだけだ。


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心理療法の扉を開いたジクムント・フロイト [心理学]

無意識の世界に光を当て、そこからの個人の解放によって、精神疾患に対する手法をフロイトは切り開いた。
1885年にジャン=マルタン・シャルコーによって催眠術を使って精神疾患に効用を齎した事が注目された。
シャルコーは、ヒステリーは神経系の異常によって惹き起される神経的錯乱はであるとし、この考えがヒントになってフロイトが無意識の世界に光を当てる切欠となった。
患者に単にその幻想や幻覚を物語るよう求めるだけで、患者の精神疾患を著しく改善していた医師ヨセフ・ブロイアーと出逢い、友となり精神疾患(現在は患者の意識から締出している過去において生じたトラウマ的な体験の帰結)治療に当って共同研究者となった。
何時しか、2人の見解に相違が生じ、フロイトは独力で精神分析の着想と技法とを発展させ続けた。
フロイトの考えは「ある考えや記憶、衝動が、意識的精神が耐えるには余に強すぎるか、不適切な時、それらは抑圧され、私達の本能的衝動に並行する無意識の内に貯蔵される。これによってそれらは、直接的意識によってはアクセス出来ないものとなる。無意識は黙せる侭に個人の思考と行動を方向付け、無意識的思考と意識的思考の違いは精神的緊張を産み、この緊張は、精神分析を通じて抑圧されていた記憶が意識の内に入る事を許されるようになった時に、初めて解き放たれる」と言うものであった。
フロイトは生理学者エルンスト・ブリュッケが「他の有機体と同様に人間も本質的にはエネルギー系であり、エネルギー保存の法則から逃れられない」の説に賛同し、心的過程に適用して「精神エネルギー」の考えを持つ。
更に進化して、動機付けとなる衝動を生出す意識構造として自我(エゴ)・エス(イド)・超自我(スーパーエゴ)を提唱した。
エスは快楽原則に従い、自我は現実原則を承認し、超自我は判断力であり、良心・罪悪感・羞恥心の源泉として働き、これによってエスや自我をコントロールしていると考えた。
無意識の中には膨大な量の相争う力が渦巻き、生の衝動と死の衝動に加えて、抑圧されている記憶と情動の強度や私達の抑圧された現実の見方に備わる矛盾も内包されていて、これらの対立し合う諸力から生じる葛藤こそが人間の苦しみの根底に潜む心理的葛藤であって、人が不安や抑鬱、神経症その他の不満で居る原因と考えた。
その治療にフロイトは無意識に潜む葛藤を重視し、抑圧されている記憶から解放して患者の心的苦痛を和らげるべく務めた。
無意識的思考は、事象を理解する際に参照する枠組みや自ら創造するシンボル等を経由して語り掛け、分析者は媒介者として振る舞い、それまで語られる事の無い思いや耐え難い感情の表出に手助けを行う。
無意識へ接近する手段として「夢判断」が重んじられるが、その解析にフロイトの夢を実験資料とした。
無意識に接近する手段として言い間違いと自由連想法を重視した。
言い間違いは、言葉に関わる誤りで、「口が滑る」ことで、結果的に抑圧されている信念や思考、感情が露わになることで、本人が意図せずに本当に感じている事をうっかり露にしてしまう事を言う。
自由連想法では患者に「ある単語」を聞かせ、それを聞いた時に最初に浮かんだ言葉を促されて、その侭述べさせる方法で、私達の精神は自動連想法によって動かされて居て、促されて「隠された」思考は意識的精神を中断する前に声を発してしまう事を利用している。
精神分析者はこれらの手法で無意識の世界を開放し、抑圧された精神を開放する助けをする。
1908年にフロイトは精神分析学会を設立したが、現在では22の学派に分派しているが、その中心にあるのはフロイトの考え方である。
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科学の門を開いた行動主義者 [心理学]

1890年代には、心理学はその哲学的ルーツから切離されて、科学的な主題として認められるようになった。
切欠は、チャールズ・ダーウィンが「人間と動物の感情表現」を著し、行動とは進化的適応であると論じ、それに触発された心理学者が条件付け等の実験手法を計画し、それらから様々な推論を打ち出した。
先ず、1番バッターに立ったのは、行動主義心理学の基礎とも言うべき、効果の法則を打ち出したソーンダイクで、プラスの結果のみ出力を記憶し逆のものは忘れると言う学習を規定するものであった。
次に、ジョン・B・ワトソンが「行動主義の見地から見た心理学」を著し、これは非公式乍行動主義宣言となる。
実際に「幼児アルバート」で実験を行い、条件付けられた感情的反応を幼児に教え込んだ。
次がパヴロフの犬で有名な古典的条件付けを明かにし、行動主義心理学が確立した。
1930年になって、動物は本能によって動くのではなく、環境に左右されるとされ、刺激に出逢うと自発的な反応としての行動を引起すと言う行動主義の原点とも言うべきものになって行った。
その後、コンラート・ローレンツが刷込み現象を発見し、エドウィン・ガスリーが単一━試行学習を提言して古典的条件主義を否定し、クラーク・L・ハルが衝動的減退を主張した。
エドワード・トールマンは認知症マップを示唆し、B・F・スキナーは「言語行動」を著し、人間的欲求の満足が反応強化の真の土壌と主張し、196年代に行われた生体自己調整技法を齎すに至った。
前世紀中頃には、心理学者達は動物の行動は本能の果たす役割が大きい事を認識し、関心が行動から精神へと代り、研究範囲は認知心理学にとって代られる事となった。
行動主義は心理現象を科学的な方法論を確立した事と、認知行動療法の核心を為す部分として、行動療法は現在も色褪せる事無く輝き続けている。

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「情景をイメージするのを止めて、リラックスしよう」と叫んだジョセフ・ウォルピ [心理学]

20世紀前半を通して、心理療法はフロイトの精神分析に席巻されていた。

これは、不安は魂の奥深くにある諸々の力の葛藤から生じると主張する立場であった。

この葛藤は、個人の意識的及び下意識的思考双方及びそれらを形成した諸経験の長期に亙る内省的分析を通じてのみ軽減され得る。


だが、南アフリカ出身の精神科医ジョセフ・ウォルピは、第二次世界大戦中のPTSD(心的外傷後ストレス障害、当時は「戦争神経症」と呼ばれていた)による不安で悩む兵士達の治療に当る中で、精神分析に基く療法が自分の患者達を助けるのに何の役にも立たない事に気付いた。

この兵士達に自身の経験について語らせて見た所で、元々のトラウマに対する彼らのフラッシュバックを止める事も、彼らの不安を一掃することもできなかったのだ。

ウォルピは強度の不安の問題に取組むには精神分析よりもずっとシンプルで近道な方法があるに違いないと考えた。


ウォルピが思い至ったのは、イヴァン・パヴロフやジョン・B・ワトソンと言った行動主義者の業績であった。

これらの人々は、刺激━反応の訓練ないし古典的条件づけを通じて、新しい行動パターンを動物や子供達に教え込むことに成功していた。

詰り彼らは、ある対象なり出来事に対して、以前には感じられていなかった情動的反応を自動的なものにする事に成功していたのだ。

ウォルピは、もし行動がこんな風に学ばれるのであれば、学習なされないようにすることも可能なのではないかと考えて、この手法を酷いショックを受けた戦争古参兵に用いる方法を考案したのだ。


ウォルピが発見したのは、人間には同時に2つの相矛盾する情動状態を経験する事は出来ない事であった。

例えば、とてもリラックスした気分でいる時に、どんな種類であれ激しい不安を覚える事はありえない。

これにヒントを得て、ウォルピは患者に深い筋弛緩技法を教授し、更にこれを後に「逆制止法」として知られたある種の不安誘導刺激の同時的な提示と対にしてみた。


ウォルピの患者達は、先ず混乱を引起すように感じられる対象なり出来事をイメージするよう求められる。

もし、それによって不安を覚えるなら、「情景をイメージするのを止めて、リラックスしよう」と励まされる。

患者の恐怖心は、この手法によって段々と締め出され、患者は、以前は自身の経験によって悍ましい記憶が思い起こされる時には不安を感じてしまうように条件づけられていたのに対して、今や自身のそうした不安を、全面的にリラックスしていると言う、不安とは真逆の感情の方に注意を集中する事で━ごく短時間で━シャットアウトしてしまうように条件づけられている。


ウォルピの逆制止法は、患者の過去の分析等全くせずに、専ら症状とごく近い行動だけに焦点を当てる事で、脳を再条件下する事に成功した。

この手法は効果的であるばかりでなく、、直に効果を齎す物でもあった為、行動療法の領域に数多くの新しく重要な技法を齎した。

ウォルピ自身は、この手法を発展させて系統的脱感作プログラムを作り出し、鼠嫌いや飛行機嫌いといった恐怖症の治療に当たり、今尚この手法は広範に活用されている。

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徹底的行動主義から認知行動療法を導いたB・F・スキナー [心理学]

パヴロフやワトソンの条件付け理論を拡張し、徹底的行動主義に議論を定着させ、積極的のみならずネガティブな条件付けに迄議論を発展させたB・F・スキナーは綿密な科学的方法論により、行動主義の理想的代弁者となった。

スキナーの実験は内にモルモットが押す特別な棒を取り付けたスキナーボックスによるものであった。

モルモットが棒を押す力を自動計測して、モルモットがどれだけの関心を以て押しているか計測記録出来る。


棒を押した時に食餌を与える事になっていて、様々な条件設定で以てモルモットの行動を監視した。

食餌を得ると言うポジティブな試験に止まらず、棒を押せば流れている電流が止まるネガティブな反応に対しても試験をする事によって、現在の学習に影響力を持つネガティブな強化とポジティブの強化を調整するオペラント条件づけによる行動の「形成」に到達した。

これは、自然淘汰の理論と似通っていて、「ある人物の行動は、当人の遺伝的・環境上の経緯によって支配される」と結論付けた。


スキナーは自身の娘に対する教育に対する関心から、ティーチングマシンも考案した。

これは各段階毎に子供達を褒めて、その学習意欲を促進させるものであり、後になってコンピューターの独習プログラムに応用されている。

試験動物をモルモットから鳩に変更して、自身の見解の実践的応用に応えることを試みだした。


スキナーは自身の行動主義的アプローチに忠実であり続け、自らが採用した心理学の1部門の為に「徹底的行動主義」という名称を考案した程であった。

その著作『自由への挑戦』の中で、スキナーはもっと先迄行動を象っていくという考えを持ち出して、自由意志と決定論との間の哲学的論争を復活させた。

しかし、脳神経科学の新しい跋扈で、この徹底的行動主義は色褪せたものとなり、心理学の焦点は認知心理学へと大きく舵を切るが、時代を経た現代になって、スキナーの業績は鮮やかさを増している。


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刷込みは決して忘れる事が有り得ない! [心理学]

オーストリア出身の動物学者にして医学博士コンラート・ローレンツは、動物行動学の提唱者のひとりだ。

動物行動学とは、自然環境での動物の行動を比較研究する学問だ。

ローレンツの業績は、家族で避暑に出かけていたアルテンブルクの別荘でガチョーとアヒルを観察する事から始まった。


ローレンツによれば、雛鳥は孵化して直に母鳥と強い結びつきを作るが、母鳥が不在の場合には育て親との間に類似の愛情関係を形作ることもある。

この現象は以前から観察されていたが、それを「刷込み」と名付けたのはローレンツだ。

ローレンツがこの現象を最初に体系的に研究したのだ。


良く知られるように、ローレンツはガチョーとアヒルに同じことをして、自身をアヒルに育ての親と認めさせる事に成功した。

刷込みと学習の違いとして、ローレンツが発見したのは、刷込みが動物の発達段階の特定の時期にのみ起ると言う事であり、それをローレンツは「臨界期」と名付けた。

学習と違って、刷込みは短期間に生じ、行動とは無関係に機能し、取消しえない事が明らかとなった。


刷込みは忘れられる事がありえないのだ。

ローレンツは、他にも多くの一定の時期と結びついた本能的な行動、例えば求愛行動の観察を続け、そうした行動を「固定された行動パターン」として記述した。

それらは、特定の臨界期に特定の刺激によって誘発される迄は、いわば冬眠状態にある。


ローレンツによれば、固定された行動パターンは学習されるのではなく、遺伝的にプログラムされており、自然淘汰の過程を通して進展する。

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カール・ラシュレーによる記憶の追跡 [心理学]

生理学から心理学に転じた米国のカール・ラシュレーは、学習過程で大脳内では物理的に何が起こっているのかに関心を持った。

パヴロフ等の行動主義者が、条件付けによって大脳の内に化学的ないし電気的な変化が生じる可能性を仄めかしていたが、その変化がどんなものなのかを、正確に突き止めようとしていたのだ。

取分け、ラシューレは、記憶痕跡即ち大脳内で記憶を司る特定の領野とされる「エングラム」の位置を明確にしたいと考えた。


多くの行動主義者達と同様、ラシューレも学習実験の基礎として迷路の中のモルモットを用いた。

最初にモルモットは迷路を迷路を抜け出して報酬である食餌に到達するルートを見出す事を学習した。

次いで、ラシューレはこのモルモットに外科手術を施して、大脳皮質の特定の異なった部位を夫々除去した。


その後、モルモットは改めて迷路に入れられ、記憶と学習の能力をテストされた。

この結果分かったのは、大脳のどの部位が除去されても、課題についてのモルモットの記憶は維持されていたという事だ。

モルモットの学習と新しい課題の記憶力とは減衰したが、どの位減衰するかはダメージの部位では無く、ダメージの広がりに左右された。


そこからラシューレは、記憶痕跡は特定の部位に局在化されているのでは無く、大脳皮質全体に均等に割り振られていると結論した。

大脳の各部位はどこも同等に重要であり、言い換えれば等位なのだ。数十年の後、ラシューレはその実験によって「時として、必然的な結論は、そもそも学習等可能ではない…という事になるように思われるに至った」と語った。

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ネコにとってネズミを「好む」こと以上に自然なことは無い [心理学]

1920年代に、ジョン・B・ワトソンは、生得的な行動でさえ条件付けによって変え得ると主張した。

行動主義の観念をその極限まで推し進めたZing=Yang Kuoは、行動を説明する要因としての本能の実在を否定した。

Zing=Yang Kuoの考えでは、本能とは流通している理論にそぐわない行動を説明する上での、心理学者達にとっての安楽な手法でしか無い。


「過去における私達の行動の探究は、誤った方向へ進んでいた。何代私達は、どのようにして動物の内に自然を組込めるかを探究する代りに、動物の内に自然を見出そうとしていたのだ」。

Zing=Yang Kuoの最も良く知られた実験は、子猫を育てると言うものだ。

1方の猫は生れて直籠の中で鼠と育てられ、、他方の猫は大分成長が進んだ段階で鼠と対面させられた。


これによって分ったのは、「もし子猫が誕生して直に鼠と一緒に同じ籠で育てられたら、鼠に寛容になる。鼠に攻撃を仕掛けないばかりでなく、鼠を『仲間』として受入、共に遊び、愛着を示したりする」という事だ。

Zing=Yang Kuoの研究は、中国における政治事件によって短期間で終わった。

この事件でZing=Yang Kuoは、最初米国へ、次いで香港へ避難せさせるをえなかった。


Zing=Yang Kuoの考えが西側諸国で知られるようになったのは、そろそろ行動主義が衰え始め、認知心理学が台頭しつつある時代になっての事であった。

だが、内面的メカニズムと無関係に進展してゆくZing=Yang Kuoの理論は、本当に足場を置いたコンラート・ローレンツの心理学と真逆の立場として影響力を持った。

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「偶然性」理論を提唱したエドウィン・ガスリー [心理学]

米国のエドウィン・ガスリーがその関心を心理学に向けだした1920年代までには、学習の刺激━反応モデルが殆ど全ての行動主義理論の土台を為していた。

イヴァン・パヴロフの「古典的条件づけ」から派生したそのモデルによるなら、特定の刺激結合(例えば、食餌を与える事とベルを鳴らす事)を繰り返し被験者に提示すると、最後には条件づけられた反応(例えば、ベルが鳴らされただけで涎が沸き起こる)が生じるようになる。

ガスリーは厳格な行動主義者ではあったが、条件付けが成功するには強化が不可欠だとは考えなかった。


ガスリーの考えでは、特定の刺激と反応の間の完全な連合は、それらが最初に顕れた時に作られる。

ガスリーの単一━思考学習理論は、「パズルボックス」の中に捕えられた猫の観察を通じてガスリーが行った研究を土台にしている。

猫は一度脱出の方法を知ると、脱出と自らの行動との間に連合を作りだし、その行動がその後の機会の度に繰り返された。


ガスリーの言う所では、同様にモルモットは、1度餌のありかを知ると、空腹の時には何処に行けば良いのか分るようになる。

ガスリーは自身の考えを拡張して、「偶然性」理論を確立するが、これによれば、「ある刺激が、その後に生じる度毎に続いてその運動が惹き起されるようになる」。

刺激━反応連合の学習から学ばれるのは、行動ではなく運動だ。


関係しあう運動が結合して、ある動作を形作る。

反復は連合を強化するのでは無く、様々な作用の形成へ通じて行くのであり、それらの作用が結びついて行動を形作るのに至るのだ。


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壮大な天与の迷路、これこそ私達人間の世界だ [心理学]

エドワード・トールマンは、米国の行動主義心理学の主導的人物と目されてはいるものの、ソーンダイク及びワトソンとはとても異なるアプローチを採用した。

トールマンは、心理学は客観的かつ科学的な実験によってのみ研究され得るという行動主義の基本的方法論には賛意は示すものの、知覚や認知、動機付けといった精神過程にも関心を示していた。

ドイツでゲシュタルト心理学を学んだ折に、そうした問題に出逢ったのだ。


それまでは分断されていたこの2つのアプローチの橋渡しする事で、トールマンは条件付けの役割に関する新たな理論を発展させ、彼の用語では「目的的行動主義」、今でいう認知的行動主義を創造した。

トールマンは、(行動は刺激に対する自動的な反応によって容易に学ばれると言う)条件付け学習の基本的前提に疑問を投げかけた。

トールマンの考えでは、動物は周囲世界について、報酬で強化される事無く学んでおり、後になってその知識を行動の決断に際して活用もする。


トールマンは、迷路とモルモットを用いて一連の実験を計画したが、その目的は学習における強化の役割の吟味にあった。

迷路脱出に成功する度に毎日食餌という報酬を与えられたモルモットのグループと、6日経ってようやく報酬を与えられたグループ、更に2日後に報酬を与えられた第三のグループを比較する事でトールマンの考えは裏付けられた。


第2、第3のグループは、食事の報酬が与えられた後の日の迷路脱出実験においても、殆ど誤りを犯さなかったのだ。

これは、これらのグループのモルモットが迷路の中での自分たちの辿るべき道を既に「わかって」おり、報酬を受けるよりも前にそれを学習してしまった事を証明している。

一度報酬が与えられたなら、モルモットは既に確率されている「認知マップ」を活用して、より早く迷路を脱出することさえ可能になる。


トールマンは、モルモット達の最初の学習期間━その際には、未だ明確な報酬は与えられていない━を「潜在的学習」期間と見做す。

トールマンの考えでは、人間も含めてあらゆる動物は、日々の暮らしを営む中で、周囲世界についての認知マップを作り上げる。

この「壮大な迷路」は、その都度特定のゴールを位置付けるのに用いられ得る。


トールマンは、私達が毎日の移動の中で様々な場所をどのように覚えているかを例にだす。

私達は、ルート上にあるどこかを特定する必要に迫られない限り、自分が既に知っているはずの事を一々思い起さない。

更なる実験で、モルモットが学習するのは単に特定の場所に至るのに必要な曲がり角ではなく、場所の感覚である事が明かになった。

『新行動主義心理学━動物と人間における目的的行動』の中で、トールマンは潜在的学習と認知マップについての自らの理論の概要を提示し、行動主義の方法論とゲシュタルト心理学を結び付けて、認知と言う要素を導入した。

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行動主義の「創設の父」ジョン・B・ワトソン [心理学]

ワトソンはソーンダイクと異なり、パブロフの条件付けを小児を対象として行った。
地方の児童病院から生後9ヶ月のアルバート・Bを選び、様々な条件付けのテストを行い、アルバートをモルモットとして扱い、それによって人も動物と同じく条件付けされると結論を得た。
しかし、その成功は長続きせず、研究助手ロザリー・レイナーとのスキャンダルが問題となり、ジョンズ・ホプキンス大学を追われた。
ワトソンの幼少期は、不幸なもので大酒飲みで女誑しの父親が家を出て、母親は熱心な宗教信者であった。
そういうワトソンの主張は「ベースとなる(学習されるのではない)人間の情動は恐れと怒りと愛だ」と言うものであった。
これらの感情は、刺激━反応条件付けを通じて対象に結び付られ、人々は対象に対して情動的反応をするよう条件付けられ得ると主張した。
一方、パブロフは動物で条件を付けを通して、行動レベルでの反応を学びうることを示した。
人間も又、条件付ける事に対して身体的な反応を示す事ができるようになる。
誰であれ、元々の環境に関わり無く、訓練次第で何にでもなり得ると言う結論を示した。
しかし、ワトソン自体は1935年に37才レイナーがで亡くなると、世捨て人同然の暮らしをするようになった。
如何なる立場であれ、人の尊厳を無視するような事をする末路をしめされたように感じる。

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米国行動主義心理学の魁、エドワード・ソーンダイク [心理学]

鶏を使い、後にこの研究で行動主義の実験技法の代名詞となった、実験用に特別に迷路を作って、通り抜けるよう鶏に学習させ、それを観察して知能と学習のプロセスを研究することを目標とした。
その後、関心を猫に向け、「パズルホックス(問題箱)」を考案して、抜け出す為の仕組みを学習能力が猫にあるかどうかを観察し、腹を空かせた猫がパズルボックスの中に閉じ込められ、自分の置かれた環境を探索する事で円環状になった紐とか輪、押し釦やパルメと言った様々な装置を通過してゆくことになる。
その中の1つだけが、ボックスの扉を開ける仕掛けになっていて、そうこうする内に猫は仕組みを見抜いて脱出し、餌を獲得するのに成功し、この過程を繰り返し行われ、その都度猫が箱を開ける時間を計測する。
これによって、どれ程短時間で動物がその環境について学習するものであるか分る訳だ。
実験には何匹も猫が用いられ、その都度異なった仕組みで開くように作られた一連の箱が用意された。
ソーンダイクが気付いたのは、全ての猫が何度もの試行錯誤を通じて抜け出す仕組みを見出したが、続く数度のチャレンジにおいて、どう振る舞えば失敗し、どうすれば成功するかを猫が学習するに連れて、試行錯誤の回数が段々と減少していったと言う事だ。
ソーンダイクは以上により、「効果の法則」を提唱し、それはあらゆる行動心理学の背景にある観念、即ち刺激及び反応と学習及び行動の過程にとの間にある結合が作られるということについての最初の表明であった。
更に刺激(S)と反応(R)との間に結合が生じると、それに対応する長期増強が育成されると考え、ソーンダイクは、自らのS━R学習の特徴を「結合主義」と呼ぶが、それは学習を通じて作られた結合が脳に造られる。
ソーンダイクは刺激━反応結合が創出する長期増強は行為の出力と考え、刺激とその反応の出力に力点を置いて、出力が刺激━反応結合の強度に跳ね返って行く事があると考える発想が、後の学習の強化理論に繋がる。
後の研究で、ソーンダイクは効果の法則を修正して、反応と報酬の間の時間差や課題の反復の効果、反復の無い時に如何なる短時間で課題が忘れ去られるような、様々な他の変数を入れるようになった。
ソーンダイクは、「満足乃至不満足が大きくなれば、結びつきの強さ乃至弱さも大きくなる」と言った。
ソーンダイクは人間の知能を測定する為に、CAVD(成就、計算、語彙、活用)テストを考案し、これは今日の全ての知能検査のモデルとなり、機械的知能(事象がどのように機能するかの理解力)だけでなく、抽象的な知能(創造力)や社会的知能(対人的な技術)をも計測できるものであった。
ソーンダイクは、取分け年齢が学習にどう影響するかに関心を示したが、ソーンダイクによって提唱された学習理論は、今でも教育心理学の核心であり続けている。
恐らくその点こそが、他の何にも増してソーンダイク自身が語継がれる事を望んだ功績と言えよう。
だが、ソーンダイクが最も賞賛されるのは、行動主義運動に対して与えた計り知れない影響によってだ。
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パヴロフの犬 [心理学]

これは高校の教科書で習った条件反射の有名な話である。

イヴァン・パヴロフはサンクトペテルブルク大学で自然科学を学び、1875年に卒業した後、外科の学校に入学しそこで博士号を、後に特別奨学金を受ける。

1890年に、軍医学校の教授となり、医学研究所の生理学実験室の室長にもなった。


後に彼の名を有名にする犬の唾液に関する実験を遂行したのもここであった。

この実験によってパヴロフは1904年にノーベル賞を受賞する。

1890年代を通じて、パヴロフは犬を用いて一連の実験を行い、その結果を以下のように述べた。


(食餌が眼の前に差し出されるといった)無条件刺激は、(唾液の分泌といった)無条件反応を引起す役目を果す。

もし無条件的な刺激が(ベルの音といった)反応とは無関係な刺激と連合したなら、条件反射が形成されだす。

こうした情景が繰り返されると、(ベルの音といった)条件付け刺激だけでも(唾液の分泌といった)条件反射を惹起するようになる。


今日では、古典的或はパヴロフの条件付けとして知られているものの原理及びパヴロフの実験方法は、哲学の一部ではない真に科学的な心理学の出現においてパイオニア的な段階を画するものと見做されている。

パヴロフの業績は、直に広範な影響を及ぼすようになり、とりわけ米国では、「幼児アルバート」実験で、人間における古典的条件付けを実証したジョン・B・ワトソンやモルモットでさえ特定の仕方で振舞う様に「条件付ける」のが可能である事を明かにしたB・F・スキナーと言った行動主義の心理学者に多大な影響を与えた。

1950年代からは心理療法者達が、「条件付け」を行動療法の一環として用いだした。


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哲学から心理学の誕生へ [心理学]

ここまで、心理学の誕生に寄与した14人の哲学者(聖職者も含む)の概略を記述した。

1つはギリシャから論じられていた心と幸福の問題から派生した認識を含む意識から無意識へと議論が進んだ。

ファリア師によって催眠が取り上げられ、19世紀に入って医師が治療に催眠を含む無意識を取り上げた。


17世紀半ばにデカルトが「情念論」を出版し、心身の分離を主張し、19世紀初めにヘルベルトは自ら著した「心理学の教科書」の中で心の力動性を、意識と無意識を用いて叙述した。

19世紀中頃にはキルケゴールはその著「死に至る病」で実存主義の始まりを画し、チャールズ・ダーウィンが「種の起源」の中で、私達のあらゆる特徴は遺伝的なものだと主張し、神経外科医のブローカは大脳半球の左右で機能が分離されている事を発見し、フランシス・ゴルトンは「遺伝的資質」における研究で、生まれより育ちが重要だと主張している。

19世紀後半半ばになると、ウェルニッケが大脳の特定領野へのダメージが特定の技能を喪失させる事を証明し、シャルコーは「大脳系の疾患に関する講義」をプロデュースし、ヴントはドイツのライプツィヒ大学内に世界初の心理学実験室を創設し、クレベリンは「精神医学の教科書」を刊行した。

19世紀最終盤にエビングハウスはその著「記憶について」で、無意味綴りの学習実験の詳細を明かにし、スタンレー・ホールが「アメリカ心理学雑誌」の第1版を刊行し、ジャネはヒステリーには人格の分離と分断が含まれると示唆し、「心理学の父」と称されるウィリアムジェイムズが、『心理学原理』を刊行し、ビネは世界初の心理診療所を解説した。


こういう経緯を辿って、哲学・宗教・医学夫々が複合して心を扱う学問として心理学が生れた。

21世紀に入った今、脳神経科学が大きく明らかとなり、20世紀に出現した半導体によるITも急速な発展を遂げ、AIによる脳の機能の置き換え研究も進んでいる。

幾世期か後には、機械による脳機能が解明されるかも知れないが、それは我々の十数世代後の話であろう。




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