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自我の防衛についてのアンナ・フロイトの理論 [心理学]

『聖書』によるなら、エデンの園に居たアダムとイヴは、誘惑か正義かという選択に直面させられた意思決定であったが、ジグムント・フロイトは、精神についてのその構造モデルの中で、人間の無意識のうちにある同様なモデル(精神の働きを自我・エス・超自我と見做す)を述べている。

エスは真柄卑劣な蛇のように、自分達に良い感じられる事を実行するよう私達を嗾け、それは完全に欲望に突き動かされており、只管快楽(食物や快適さ、暖かさや性欲と言った)と基本衝動の充足とを目指す。

超自我は真柄公正な存在のように、もっと上の道(両親と社会の価値を課すものであり、私達が何をすべきで、何をすべきでないか)を進むように私達を誘う。


最後に、自我は真柄意志決断を行う大人のように、衝動を統制してどう振舞うべきかの判断を下し、その役割はエスと超自我の間に宙吊りされた調停者だ。

オーストリアの精神分析家アンナ・フロイトは、自分の父の考えを膨らませて、超自我の形成とその自我への影響に関心を向けた。

自我は世界の現実を考慮に入れるが、それと同時にエスとも関わり合い、超自我によって一段下位の立場へ格下げされる。


超自我は、一種の内面化された口煩い両親として、罪と恥の言葉を語る。

私達は、ある種の仕方で考えたり行動したりした角で叱られる時、超自我の声を聞いている。

超自我がはっきりと姿を著す(詰り「自らを述べる」)のは、それが自我に敵対する時だけだ。


超自我の批判的声は、私達の中に不安を呼び覚ますので、私達は自我に防衛機制を働かせる為の様々な方法であって、アンナによるなら、私達が用いる数限り無い防衛機制は、ユーモアや昇華から否認や置換え迄多種多彩だ。

自我の防衛についてのアンナの理論は、20世紀の人間性療法の内にとても実り豊かな思想の層を齎した。


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