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唯識1 [宗教]

本日の予定はエーリッヒ・フロムについて書く予定であったが、Eテレでこころの時代再放送「唯識に生きる」と題して6回シリーズの第1回目が再放送されたので唯識について紹介する事にした。

筆者は仏教に並々ならぬ関心を持ち、それを以て自身の人生の道標としているので、心の時代は良く見ていて、前回は曼荼羅についての解説であったが、それは折を見て紹介する事にしたい。

ここで、唯識を記事にする事にしたのは、散々綴って来た心理学で「無意識」の問題が取り上げられているのはご承知と思うが、筆者は唯識思想が欧州に渡って無意識に対する問題提起となっていたと考えている。


筆者が唯識と出逢ったのは、今から20年前道後温泉本館で京都から来られていた大学の講師と巡り合った事が始まりで、お願いしてメールで勉強すべき物を教えて欲しいとの依頼に応えて、1つの文章が切欠でした。

それは文章と言うより漢詩であったような気がするが、非常な驚きを筆者に与えた事を、未だ新鮮に感じている。

その詩から受けたインパクトは、心は嵐であると言うメッセージであったように記憶している。


それから折に触れて、唯識については様々な書籍を読み漁ったが、最初の詩で受けた衝撃は全く色褪せない。

今、西欧の心理学者を「心理学大図鑑」に従って書き綴っているが、これは唯識から入ると科学でないと言う拒否反応を示す方々が居られると思い、敢えて慣れない心理学を記事にする事を試みている。

これは自身の研究課題である脳神経科学と唯識解釈に資すると考えているので、自身としては齟齬は全く感じて居ず、自身の唯識理解にも大きく役立つと考えている。


さて、Eテレの「唯識に生きる」であるが、講師の横山紘一先生によると唯識即人格であると言う。

人格は夫々の宇宙を構成し、それは交わらないが、仏の意志でもって交わり、そしてその身体内部の呼吸と大きく関与し、それは、禅や真言密教の即身成仏を目指す瞑想と絡み合って、肉体と合致すると言う。

今回は、初回と言う事で概論的な話で終わったが、次回から、今心理学を概論している中で無意識の問題が大きくクローズアップされているが、そこらと交わる話になると考える。


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