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精神分裂病を精神の復元と捉えたR・D・レイン [心理学]

 19世紀の終わりに、精神疾患と健常な人間の被る心理的苦痛との違いは程度の差だという考えが、受入れられ始めた。ジクムント・フロイトのいう所では、精神疾患と健常な人とは同じ尺度上の異なる部分に過ぎず、誰でも悲惨な状況に置かれれば、精神疾患を発症する可能性を持っている。こうした文脈からR・D・レインは、新たな文化的流行の卓越した存在として登場した。


生物学と行動

 フロイトと同様、レインも精神医学の根本的価値に異議を差し挟み、精神疾患を生物学的現象と見做すのに反対し、個人の経験を形作る社会的・文化的・家族的影響の重要性を重視した。レイン自身が精神疾患の容赦無い現実を否認した事は無かったが、レインの見解は当時受入られていた精神医学の医学的基礎及び実践とは強い対象を示していた。

 レインの研究は、当時受入られていた精神障害を診断する過程が、伝統的な医学モデルに従っていないと言う事を理由に、精神医学に関わる診断の妥当性を疑問視するものであった。身体的疾患を診断するには、医師は診察を行い、検査を実施する。それにいるなら、対して精神の診断の基礎は、行動に置かれる。レインによるなら、行動に基礎を置いて精神疾患の診断を行いながら、それを生物学的に薬で治療しようとすることからは、更に別の問題が生じる。もし診断が行動に基礎を置いているなら、治療もそうあるべきだ。レインにいるなら、言わせれば、薬は思考能力を麻痺させるものであり、その為真の回復という自然な過程とは両立しない。


精神分裂病へのアプローチ

 レインの主要な研究は、心的機能における深刻な異常によって特徴付けられる重大な精神症状である精神分裂病(統合失調症)の理解と治療、そしてそれを一般の人に分って貰う事を主眼としていた。レインに言わせれば、精神分裂病とは生得的なものではなく、生きるのが困難な状況に対する理解可能な反応だ。レインは、社会科学者グレゴリー・ベイソンの「二重拘束」理論をこれに適用する。二重拘束とは、ある個人が両立し難い期待に向合わなければならなくなる状況に置かれる事で生じる。そこでのあらゆる行動はネガティブな帰結にしか行き着けず、時として甚だしい精神障害に至る事がある。


突破口としての病

 レインが革命的であったのは、精神分裂病の患者の示す異常な行動と混乱した発言とを、障害の十分に根拠のある表現と見做した事だ。レインによれば、精神病のエピソードは当人の関心を伝えようとする試みの現れであり、重要な人格的洞察に通じる可能性を秘めた浄化作用と変化の可能性を伴った経験と見做されなければならない。こうした表現が理解し難いものである事は、レインも認める。だがその理由は、単にそれらが個人的象徴体系の言葉で覆われているからに過ぎず、その言葉は内側からのみ有意義なものとなる。薬に頼らないレインの精神療法は、患者の象徴言語を、注意深く共感的な心で耳を傾ける事で、意味あるものにしようと言う試みだ。その基礎には、人々は自然状態においては誰もが健全であり、精神疾患なるものは、それを復元しようとする企てなのだと言う信念がある。


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