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自閉症は心が乏しい [自閉症スペクトラム]

自閉症者は社会脳が常人よりも乏しいので社会を認識し辛い。
新幹線殺害事件が起きたのも、自分が一体誰なのかに悩み、その挙句の犯行に相違ない。
様々な自閉症者が起こす悲惨な殺人事件群は心があれば思うだにしないことだ。

筆者も自身の母親が笑う表情をするのを50才位迄認識しなかった。
父親も然りである。
他人が爆笑するのは分かるが、心の表現である笑みに対しては無反応であったと記憶している。

二十歳前から自分探しが始まったのもそういう理由であったと考える。
高校生迄は受験勉強していれば良く、そこに自身の居場所があった。
その受験勉強を強いた父母には怒りしかなかったように思う。

仏教から入り、心を理論構築していった。
様々な小説を読み、その主人公達の姿からその持つ心を逆算して構築していった。
社会ががあれば、それに対応するために心が自ずと芽生える。

自然を「自ずから然らしむ」と読むとEテレで聞いて、得心するのである。
50才になって母が笑っているのに気付いた。
父はそれまでに亡くなっていたので、父から可愛がられた記憶が無く、それも自身の自閉症者であるせいであると考える。

若い自閉症者の人達に呼び掛けたい。
この記事を読み、自身の心が乏しいのは、何れ年を経れば解決するのだと。
そうすると、未来に希望が持てると考える。

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自閉症者には天才が多い [自閉症スペクトラム]

アインシュタインやエジソンが自閉症者であることは有名だ。
自閉症者は特別なこだわりを持つことが多く、そのことについて熱心に究明する。
藤井壮太7段も自閉症者かも知れない。

マスコミのアナウンサーがインタビューしても目を合わせないそうだ。
彼の会話する姿を見ても、目が他所に飛んでいるような気がしているのは筆者のみではなかろう。
彼が理想を追及する姿には特別なものがある。

普通の将棋指しは、中盤戦を分らないものとして研究しないという。
藤井壮太7段はこの所、頓に中盤戦で長考する傾向がある。
将棋の未知の領域に対するフロンティアなのだろう。

自閉症者は社会脳を欠落している。
小脳の機能不全の為に、社会性の発達に必要な時期にそのメモリを使い果たしているせいだ。
その為、未使用の大脳領域が大きく空き、天才であることを可能にしている。

常人は社会性を身に着ける為に大きな脳領野を使い果たしている。
我々ホモサピエンスは社会性を獲得する事で発展した。
常人はホモ・サピエンスとして普通に学習する過程で社会性を身に着け、余力がなくなっている。

過去に書いたように、人類の進化に自閉症者は欠かせなかった。
社会は異端を受け入れ、それによって発展してきた。
障碍を前面に出さず、その才能を発掘することこそ求められている。

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発達障碍の研究者よ覚醒せよ [自閉症スペクトラム]

筆者は発達障碍を研究している専門家は多くの経営学者と同列に思えてならない。
ひょっとすると、それ以下かも知れない。
しかし、発達障碍の子供を抱える父兄はその研究者に頼り切っているのだ。

経営学でもって国費で可也負担させておいて、やっていることは事例研究が殆どであり、その程度であれば日経新聞を購読したので充分であると謗られても仕方がない。
電子版を読めば、様々な視点から多くの記事が多数見られる。
日経新聞電子版を見れば、企業の経営改善手法が思い浮かぶはずで、高い税金の掛った研究者は足しにもならない。

発達障碍は高次脳機能障碍と言うことで、そもそも蓋をしてしまっていると言って良い。
学者であれば、何故・何が起きる事を推論で良いから考えて然るべきである。
現代の科学手法の無かった紀元前後に唯識を肇として、仏教は人々の認識を大きく変えた。

発達障碍の研究者は解らないものには蓋をし、それで適当に専門家として指導する。
これによって、多くの人々が可能性を失い、多くの絶望を産んだ。
専門家であり続けるならば、大いに反省をし、蓋を開けねばならない。

粉塵あれ。

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自閉症者と自覚した自分を振り返って [自閉症スペクトラム]

自身を振り返れば、注意欠陥障碍や学習障碍が色濃く見える。
新車を購入して、3日と立たず、塀や電柱で擦り、傷つけてしまう。
大学では第2外国語であるドイツ語が幾ら勉強しても頭に入らず、自分で悲観して中退してしまった。

数学以外の科目は苦労した。
普通人として生きてきたから、シャムに勉強したのだろう。 
小中高と学んだ事を70才を前にして覚えているのは、必死で覚えなければついていけなかったからだ。

酷いのは原付免許を取って、最初に乗った時にタクシーと正面衝突して左下腿を骨折した。
それを自身では普通と考えて、自分を探しながら生きてきた。
社会性が獲得出来ない自閉症者は社会が自覚できず、自分が分らないのだ。

そこの所を発達障碍の研究者は分からねばならない。
あの新幹線殺害事件を起こした青年も専門家から指導を受けていたはずだ。
専門家がそこを疎かにしているから起きた専門家による人為殺人事件である事を知って欲しい。

殺人を犯した青年は自分が分らず、他人を傷つけた。
悪いのは指導しなければならない専門家である。
高次脳機能障碍と言う得体の知れないものを、分らずに指導している。

本人や両親は藁にも縋る思いで専門家の意見に耳を傾けているのだ。
しかし、専門家にとって、高次脳機能障碍は訳が分からないだけのことで決めつけ、碌な指導ができない。
自閉症者による殺人事件が多々起きているが、専門家は蚊帳の外で平気な顔をしている。

高次脳機能障碍の真実は分からなくとも自閉症者の性格や行動のデータは揃っているはずだ。
高次脳機能障碍と言う訳の分からない障碍に対して沈黙するしか能が無い。
多くの自閉症者はその専門家の無責任性で傷つき不幸になっている。

多くの子供や父兄が頼りにしているのを良いことに頬っカムリしているのが現状と考える。
父兄は頼りにならない専門家を信じて子供を不幸にしているのだ。

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私の思想史10 [自閉症スペクトラム]

10回に亘って書いてきた回顧録だが、自身が高機能自閉症である事を知って終着点についた。
最初から自閉症の自覚があれば、こんなに回り道をしなくても良かったのかも知れない。
自閉症の自覚が無かったからこそ、学習障碍も知らずに頑張ったのだろう。

回り道はしたけれども、結果として様々なものとご縁ができたと考える。
しかし、人との繋がりの下手さ加減のせいで、孤独なのは辛い。
大切なのは共に生きていく人だと思う。

どんなに強い人であっても、大切に思ってくれる人が居ると嬉しいだろう。
大切に思ってくれる人を大切に思いたいと思う今日この頃である。
大切に思う人が居てこその「五蘊皆空」である。

筆者は普通人として生きる為に仏陀から思想遍歴を始めた。
これは結果的に正解であったと考える。
次に多くの小説を読み、人生モデルの探索をした。

以上の思索結果により、普通人として可也通用したと考える。
ビジネスを軌道に乗せることはできたが、肝心の経営に考えが付いて行っていなかった。
色々あって、事業破綻している。

その前後して、安岡正篤や佐藤一斎と巡り合い、人生の機微を知った。
その後に、自身が自閉症者であると自覚し、脳神経科学と向き合って、真の自己を認識した。

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私の思想史9 [自閉症スペクトラム]

私は昔、自分探しをする為のブログ「よく考えよう」https://adachi51.at.webry.info/を主催していました。
10年少し前にそのブロ友からダニエル・ゴールマン著「生き方の知能指数」を紹介され、その9章「心の行間を読む能力」にさしかかった時、これは俺のことを書いていると感じた。
その章で語られていたのは「自閉症」についてであった。


それを読んだ翌々日、不眠外来で掛っていた医師に「私は自閉症ですか」と尋ねると「貴方は高機能自閉症です」と時を置かず告げられた。
詰り、精神科医は以前から特別な問いかけをするでもなく、私が自閉症者であると診断していたことになる。
言われた当初はショックで何も手につかなかった。

一月程経過して、過去の諸々を反芻して、それまでの出来事が自閉症者の症状から出て来たものであると、それまで漠然とした訳の分からないモヤモヤに答えが見つかったと感じた。
そして、その翌年から最後の自分探しとしての脳神経科学を本格的に学ぶ決心をした。
丁度、東京大学出版会から「脳シリーズ」全6冊が出版されたので、それを読破することにした。

4年の歳月が経った頃に、自身の脳がどうなっていて、自閉症そのものの切り分けができた。
そして、数年して注意欠陥多動性障害や学習障碍の症状があったことに迄思いが至った。
しかし、分って良かったと考えている。

それは、自身の欠点を知る事は、世の中を漕いでいくのに欠かせないからだ。
分かるまでは、知らない故に人に迷惑を駆けたことが多かった。
それが回避できるのが一番であると考える。

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自閉症をどう理解するか [自閉症スペクトラム]

NHKスペシャルで放映されたホモ・サピエンスの進化をヒントに自閉症者について論じてきた。

自閉症は紛れもなく高次脳機能障碍であり、社会性を最も得難い存在としてこの世に出現する。
発達障碍と言われる通り、得難い社会性を普通人は4才位で習得する所を10才位迄かけて発達する。
心も同様で、子供で分ることを成人してでさえ発達段階であるから、それが新幹線殺害や秋葉原殺傷事件が起きる証拠である。
愛という概念を習得するのは、かなり高年齢になってからである。

高次脳機能障碍ではあるけれども、大脳皮質は普通人と同様にあるので、普通人は社会性を獲得する為に大脳皮質の多くの領野を使ってしまっているのに対して、未使用の自由に使える広大な領野を持っている。
それによって、鏃を発明し飛び道具迄持てた事によってホモ・サピエンスは発展した。
ネアンデルタール人は強固な肉体とそれに伴う運動性を持ちながら、社会が創れなかったから、1人の創造の範囲に留まり、滅亡していった。


科学の進化(自閉症者のお陰なのだが)に伴って、自閉症者を高次脳機能障碍という障碍者に仕立て上げたのは人類史からみると、極最近の話である。
現代の医学では、МRI検査をすれば、胎児の時から高次脳機能障碍の判定はできるはずである。
自閉症者の対象療法は早ければ早いほど効果的と言われているので、胎児診断して療育を胎児から始めるのが良いと考える。

正しい知見を持てば、自閉症者はホモ・サピエンスにとって宝である。

発達障碍を研究しているはずの専門家に、当たり前の事に気付いて奮起して欲しいものだ。


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自閉症への最適な対応 [自閉症スペクトラム]

先ずは愛情を持って接することだ。
知的障害の切欠は、反応が無い事に養育を諦めてしまうことであろう。

昨日の記事で登場したエジソンやアインシュタインは学校での教育についていけず、基礎学力は母親がしたというのは有名な話だ。
詰り、マンツーマン指導が重要なようだ。
自閉症の特徴として社会性が無く、拘りが強いので、その拘りから出発した教え方が重要だ。
それと、分らなくとも根気強く教えることも重要だ。

脳を社会性に括り付けてしまわない為、通常人に無い発想が生まれて、石斧や縫い針の発明に至ったに違いない。
ホモ・サピエンス社会が多様性を重んじて、社会性のない人々を許容してきた結果だ。
現代社会は異なる人を異端と捉えて、許容する事を忘れた結果が新幹線殺害事件を引起している。
許容されていれば、自分が何者か等必要もないし、愛されているだけで充分なのだ。

自閉症者は社会性が無い故に、その愛という概念自体持ち辛いことも知らねばならない。
愛されていても、その愛に気付かず、孤独に甘んじているものでもある。
だから、自閉症者に一番必要な行為は抱きしめかもしれない。
家族は子供が自閉症者と知った時、何より抱き締めを反応なくとも数多くしてあげるべきだ。

そこに安全基地を見出し、他の子とは違う一歩が踏み出せるのではなかろうか。
その助けに宗教の力を借りてもよい。
太古のホモ・サピエンスは全ての自然を神と捉えて生きてきたのだから。

そこに一筋の光明が見えるように思う。


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自閉症の役割 [自閉症スペクトラム]

昨夜、NHKスペシャルで、人類誕生シリーズ第三集「ホモ・サピエンスついに日本へ!」という番組があった。


内容は、我々の祖先は社会性を持つばかりではなく、道具を進化させて大海原を超え、極寒の気候にも順応して、南は東南アジアから、北はシベリアから日本へやって来たようだ。

丸木舟を造るには、石器と柄を組合わせた斧の存在が欠かせないし、極寒の地で寒さを凌ぐ為の毛皮で作った衣類が欠かせなかった。
それらの道具は近年になって発掘調査されて、化石という形で発見されたと言う。

社会性を持たないのが自閉症の特質だ。
ホモ・サピエンスは社会を創る事によって繁栄が築けた。
以前のブログで社会性を持つ通常人を実数とすれば、自閉症者を虚数と考えたら良いと述べた。
実数の中には虚数は不要なはずである。
所が、通常人は自閉症者を必要な存在として接し、社会の一部として付き合っている。
通常人は社会に適応するだけで精一杯であり、社会に適応しない自閉症者が縫い針や石斧を発明したに相違ない。
事実、エジソンやアインシュタインは自閉症者ですが、現代社会文明は彼らの存在無くして語れない。

自閉症者達を障碍者として扱うのが近年における接し方に見える。
虚数には虚数としての存在価値があると考える。
実数の籠に閉じ込めようとしているのは、現代社会における通常人の奢りと感じる。

宇宙(現実世界)を理解する為には複素曲面の考え方無にはできる通りもない。
養護学校の行っている教育は、分らないと決めつけ過ぎとしか言いようがない。
折角の能力を通常人の都合で潰しているだけではないか。

よく考えて欲しい。

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新幹線殺人事件から考えねばならないこと [自閉症スペクトラム]

このブログを始める切欠になったのは、先月9日に新幹線で起きた小島一郎による猟奇的殺人事件を社会にどう伝えようかと考えたことである。

猟奇的という表現が、実数の立場から複素数を見ている事に連なる。

発達障碍者と伝えられている小島一郎は社会との接点が見いだせず、その猟奇的な犯行を行うことによって、社会からの反応を知りたかったに相違ない。

少なくとも筆者は若い自閉症スペクトラム障害者は社会との接点を見いだせずに苦しんでいると考えている。

実数である普通人は小島一郎の犯した犯罪を猟奇的と言い放った。
実数である普通人はこの事件を虚数によるものだと受止める必要がある。

普通人にとって自閉症スペクトラムは全く理解し難い事件であるが、それ以上に自閉症スペクトラム者達は社会が理解しずらいものなのだ。
10年を超す歳月の経った秋葉原殺傷事件も同様の事が言えよう。
筆者のような見解はマスコミからは全く流れてこない。
これも、国から税金で給与を受け取っている自閉症スペクトラム障害に関する専門家が知るべきことをないがしろにしているという実態に他ならない。

政治家は元より官僚も学習不足であるから、国民の税金の無駄が生じている。
であるから、責任論から言えば、政治家が一番責任が重いと言わざるを得ない。

筆者は叫びたい、自閉症の若者よ孰れ発達して社会との折り合いがつくのだから、結論を急ぐなと。

これを見て、分らない方々は、まだ六つ目の記事であるから最初から読んで頂きたい。
筆者は分る人に分かって頂きたいと願うのみである。

明日は東名自動車道あおり運転について書こう。


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自閉症スペクトラム [自閉症スペクトラム]

自閉症とは脳の機能障害によって引き起こされた障害であって、数に例えて言えば通常人が実数であれば自閉症は虚数、スペクトラムという言い方は複素数であるといえよう。

実数から見れば虚数等想像もつかないし、反対も然りである。

「心について」で述べたように人は集団生活をすることで繁栄を勝ち取った。
その集団生活に適応できない脳機能障害が自閉症であることを知らねばならない。
両者の赤ん坊を例えるならば普通は整数であるが、自閉症は虚数という理解が必要だ。

その虚数である赤子が集団生活の中で発達し、複素数となっていくことが実態である。
知的障害者が養護学校を卒業して、社会生活をしていて50才位になるまでには、通常人の下のレベル迄発達している姿は普通に見られる。
これも複素数ととらえれば理解しやすい。

自閉症スペクトラムと言うが、実は虚数がご縁によって複素数に変換された状態だと言う事を認識して欲しい。
赤子は胎児の時から順応して、社会生活に馴染んでいく。

アスペルガー症候群の人たちでさえ例外ではないと考えている。
知的障害者でさえ、胎児の時から適切な環境に置かれていれば、知的障害と呼ばれないと考える。

自閉症の人たちの多くは知能指数が高い。
それは彼らが幼い頃から、集団生活に適応する為に果断の努力の賜であると知って欲しい。
であるから、自閉症に生まれ落ちたから不幸というのは間違いで、ご縁と捉えて欲しい。

自閉症研究の専門家の罪を問いたい。
実数である自身が虚数乃至複素数である研究対象をそういう理解を持てない所に現在の不幸があると考える。
国から専門家として多大な予算を貰いながら、謙虚に真実と向合う人が少ないのは悲しい。

国を肇とする行政の奮起を期待したい。
自閉症は金の卵でもあるのだから。

社会生活をご縁として発達していく者が発達障碍者であり、どういうご縁を与えるか社会全体で考えなければならない。


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